ザイタックはストーマ装具販売店として業界最古の歴史を誇ります。
1974年、まだストーマやオストメイトに関する認知度が低かったこの時代に、オストメイト専門のショールーム「明るいくらしの会」を設立したのがザイタックのはじまりです。
「オストメイトに明るいくらしを!」のコンセプトのもと、ザイタックはストーマ業界の発展と共に成長を続け、オストメイトとのふれあいの心を大切にしてきました。
1958年
ストーマ業界の動向
世界で初めてのE.T.(ストーマ療法士)が誕生
ストーマケアの先進国であるアメリカが、クリーブランドクリニックにてストーマケア専門の療法士(E.T.)の養成を開始。この年、自身がオストメイトであるノーマ・N・ギル女史が世界で初めてのE.T.として誕生した。
1969年
ストーマ業界の動向
オストメイト団体「互療会」設立
日本においてストーマケアの専門家が不在であったこの時代、オストメイト同士が集まって悩みを語りあう「患者会」が各地で発足した。
その中でも、現在日本最大の患者会である「日本オストミー協会」の前身である「互療会」がこの年横浜に設立。
こうした患者会の活動が、日本のストーマリハビリテーションの発展を牽引していくことになる。
1973年
オイルショックによる経済打撃がストーマ装具にも影響をもたらす
第4次中東戦争の勃発により原油価格が高騰し世界経済全体に大打撃を与えた。
燃料不足や原材料価格の高騰は様々な商品に影響をきたし、原油価格と直接関係のない物資に関しても物資不足が噂され、各地で買い占め騒動が発生するなど社会問題となった。
こうした一連のオイルショックの影響によって、多くのオストメイトはストーマ装具の供給に不安を感じていた。
1974年
ザイタックのあゆみ
「明るいくらしの会」設立
前年のオイルショックの影響もあり、オストメイトは様々な悩みを抱えていました。こうしたオストメイトの生活の一助を担おうという想いのもと、この年『明るいくらしの会』を設立しました。
オストメイトの認知度が低かった当時において『明るいくらしの会』は日本最古のストーマ相談室としてその活動をスタートします。
1975年
ストーマ業界の動向
「人工肛門装具研究委員会」発足
日本大腸肛門病学会の中に発足。
後のストーマリハビリテーション講習会として発展していく。
1976年
ザイタックのあゆみ
無料医事相談を開始
野原清水先生を顧問医として迎え無料医事相談を開始しました。
新聞にも掲載され、全国から多くの反響が寄せられました。
ザイタックのあゆみ
「明るいくらしの会ニュース」創刊
オストメイトの体験談や、世界のストーマ事情など、ストーマに関する幅広い情報を提供するストーマ専門の情報誌を創刊。
ストーマ業界の動向
日本最初のE.T.誕生
外科医の田村泰三先生がクリーブランドクリニックでE.T.トレーニングを受け日本で最初のE.T.となる。
1977年
ザイタックのあゆみ
出張医事相談スタート
全国各地で高まるストーマケアへの関心を支援するために、野原清水先生による出張医事相談をスタートしました。
訪問した地域は北海道から沖縄にかけて、およそ151か所にまで及びます。
ストーマ業界の動向
オストメイトが障害年金の対象となる
障害年金法が改正され、厚生年金加入の永久ストーマ保有者は「厚生年金3級」に該当し、障害年金の受給が可能になった。
1980年
ストーマ業界の動向
「ストーマ・リハビリテーション講習会」開催
新しい装具の普及と正しい選択、使用法など、術後ケアを指導する目的で開催。
日本初の試みとなり、ストーマ・リハビリテーションの普及と推進において大きな役目を果たした。
1981年
ストーマ業界の動向
「日本ET協会」設立
E.T.の資格を習得した7名の医師と看護師によって設立。日本で最初のE.T.である田村泰三先生が初代会長を務めた。
E.T.活躍の原動力となり、現在の「日本創傷・オストミー・失禁管理学会」へと発展していく。
1983年
ザイタックのあゆみ
第1回「オストメイトの集い」開催
野原清水先生によるオストメイトのための講演会を開催。
全国各地から約300名が参加しました。
その後「オストメイトの集い」は毎年開催され、オストメイト・医療従事者・ストーマ装具メーカーの貴重な交流の場として発展していくことになります。
1984年
ストーマ業界の動向
「日本ストーマリハビリテーション研究会」開催
「日本ストーマリハビリテーション研究会」の第1回総会が850名の参加を得て開催。
総会の開催は、全国レベルでの討議や研究を進める要因となり、日本におけるストーマリハビリテーションの発展に大きく貢献することになった。
ストーマ業界の動向
身体障害者福祉法改正
一部オストメイトに身体障害者手帳の支給が実施。
ストーマ用品に要する費用の経済的援助が受けられるようになる。それまでストーマ用品は健康保険の適用外でもあり、全額患者の自己負担であった。
1986年
ザイタックのあゆみ
第4回オストメイトの集いでギル女史が特別講演
「明るいくらしの会」10周年を記念して行われた第4回オストメイトの集いにて、世界で最初のE.T.であるギル女史に特別講演をしていただきました。
ストーマ業界の動向
日本初のE.T.スクールが開校
日本で初めてのE.T.スクールが、東京聖路加国際病院の中にクリーブランドクリニックの分校として開校。日本でのE.T.教育が始まることになる。
当時の応募資格は「5年以上の臨床経験」と「ストーマケアの経験」であった。
ストーマ業界の動向
身体障害者福祉法の障害認定基準改正
身体障害者福祉法の障害認定基準が改正され、より多くのオストメイトが支給を受けられるようになる。
1989年
ザイタックのあゆみ
「明るいくらしの会ニュース」50号記念
明るいくらしの会ニュース50号を記念して、WCET(E.T.の世界的組織)の会長を務めたメアリー・ジョー・クレーバー女史と、ギル女史からお祝いのメッセージをいただきました。
ストーマ業界の動向
「互療会」が「日本オストミー協会」と改称
ストーマ業界の動向
ストーマ用装具が医療費控除の対象になる
1991年
ストーマ業界の動向
ストーマ装具の消費税が非課税となる
1994年
ザイタックのあゆみ
「ザイタック」としての業務をスタート
多くの方からの『商品も購入したい』というお声のもとストーマ用品専門の販売店として業務を開始しました。
「明るいくらしの会」から続く、オストメイトの明るいくらしを創造するという想いは、現在のザイタックのパーパスとして受け継がれています。
1995年
ザイタックのあゆみ
「ザイタックほっとニュース」創刊
オストメイトへの情報提供を目的に、ザイタックで行われたイベントやオストメイトの方のインタビューなどを載せた機関誌を創刊しました。
「ザイタックほっとニュース」は現在77号まで発行されています。
ストーマ業界の動向
日本ストーマ用品協会発足
災害発生時等の緊急時に、被災地のオストメイトのためにストーマ用品を無償提供する目的で発足。
同年の阪神淡路大震災が発足のきっかけとなった。
1996年
ザイタックのあゆみ
国際福祉機器展に初参加
主に収尿器の展示で参加しました。
3日間の開催で入場者は10万人を超え、ザイタックのブースも多くの方で賑わいました。
ストーマ業界の動向
認定看護師制度が発足
日本看護協会によって認定看護師制度が発足。
E.T.スクールでの養成から、認定看護師の皮膚・排泄ケア分野としての養成へと変更される。
1997年
ザイタックのあゆみ
ホームページを開設
オストメイトの方への情報発信とふれあいの場としてホームページを開設。
全国のオストメイトとホームページを通じて交流を持つようになりました。
ストーマ業界の動向
「皮膚・排泄ケア認定看護師」一期生が誕生
日本看護協会が定めた教育課程を修了した看護師が「皮膚・排泄ケア認定看護師」となった。
1998年
ストーマ業界の動向
オストメイト対応トイレが誕生
日本オストミー協会の働きによって、洗面器を代用した日本初のオストメイト対応トイレが千葉県に設置された。
これをきっかけにオストメイト対応トイレの設置運動が全国各地で始まることになる。
1999年
ストーマ業界の動向
ブーケ(若い女性オストメイトの会)
若い年代の女性オストメイトの悩みを相談できる場として発足。
発足から現在まで、常に精力的な活動を通じてオストメイトに寄り添っている。
2000年
ザイタックのあゆみ
野原清水先生が「明るいくらしの会」顧問医を退任
何万人というオストメイトと出逢い、オストメイトの明るいくらしを支えるために尽力された野原清水先生がこの年「明るいくらしの会」の顧問医を退任されました。
ザイタック創業後も精力的な活動を続けられた野原先生のストーマ業界への貢献度は計り知れないものがあります。
2002年
ザイタックのあゆみ
第1回「オストメイトバスツアー」開催
オストメイト同士の親交を深める場として、ザイタック主催のバスツアーを開催しました。
第1回の目的地は山梨県。
40人乗りのバスを3台貸切っての日帰りツアーでした。
ストーマ業界の動向
第1回アジア・ストーマリハビリテーション学会
アジア・ストーマリハビリテーション学会(ASSR)の第1回が大阪で開催された。
アジア諸国におけるストーマリハビリテーションの向上を目的に、現在まで計12回の学会が行われている。
2003年
ザイタックのあゆみ
ザイタック10周年記念「新春の集い」開催
毎年新年会として行われていた食事会を、ザイタック10周年の記念に合わせて「新春の集い」と改称し開催しました。
100名を超えるオストメイトと食事や企画を通してふれあいました。
ストーマ業界の動向
身体障害者福祉法の障害認定基準改正
この改正で、全てのオストメイトの身体障害者手帳の認定が実現された。
それまで、コロストミーの場合は合併症があってはじめての認定であり、ストーマの造設だけでは認定がされなかった。
2005年
ストーマ業界の動向
障害者自立支援法が制定
これまでの障害種別に縦割りにされていた障害者福祉制度が見直され、障害の種別に関係なく一元的なサービスの提供を規定した障害者自立支援法が制定された。
2006年
ストーマ業界の動向
日常生活用具給付制度にストーマ用装具が追加
2005年の障害者自立支援法制定に伴い、ストーマ用装具が補装具から日常生活用具扱いへと変更。
これにより現物支給から補装具費の支給となり、所得制限や自己負担額についても大幅に緩和されることになった。
2007年
ザイタックのあゆみ
ネット販売スタート
1997年に開設したホームページを全面リニューアルしネット販売をスタート。
ストーマ用品のネット販売の先駆けとなりました。
2008年
ザイタックのあゆみ
第1回「看護師向け勉強会」開催
皮膚・排泄ケア認定看護師の方を講師に迎え、看護師向けのストーマケア勉強会を開催しました。
現在まで20回の開催、累計600名以上の看護師の方に参加していただいています。
ザイタックのあゆみ
第6回「アジアオストミー協会大会」に参加
国際色豊かな現場でアジア各国のオストメイトと交流し、各国のオストメイトが抱えている課題や困難を共有しました。
2009年
ストーマ業界の動向
20/40フォーカスグループ発足
日本オストミー協会が、若いオストメイト向けの情報を扱う団体を発足。
各支部で交流会を開催するなど、若いオストメイト同士の交流を促進している。
2012年
ザイタックのあゆみ
「オストメイトバスツアー」10回突破
2002年に開始した「オストメイトバスツアー」が開催10回を突破しました。
オストメイトと交流し、オストメイトの明るい笑顔を見ることはザイタックにとって何よりの幸せです。
2013年
ストーマ業界の動向
障害者総合支援法が制定
2005年に制定された障害者自立支援法に代わる法律として制定。
障害者自立支援法では全利用者がサービスの原則1割を負担していたが、世帯収入での区分が設けられることで低所得者への負担が軽減されることになった。
2014年
ザイタックのあゆみ
「ふれあいサロン」開始
オストメイト同士の患者会がザイタック店頭にてスタートしました。
毎月一度の開催日はザイタックの店頭がいつも以上に活気にあふれています。
2015年
ザイタックのあゆみ
「新春の集い」30回突破
1984年に始まった「明るいくらしの会新年会」から数えて30回目の開催となりました。
今後も様々なイベントを通じてオストメイトとの心のふれあいを大切にしていきます。
2022年
ザイタックのあゆみ
ホームページ大幅リニューアル
ザイタックの第二創業と銘打ってホームページの大幅リニューアルをおこないました。
オストメイトが豊かで明るいくらしを送れるように、今まで以上に有益な情報・サービスを提供していきます。