2022.11.21
これまで、ヨガを通じて色々な方と出会いました。
ヨガできっかけやチャンスを得た方から、変化を遂げた方までたくさんいらっしゃいます。
その中でも、私の心に残った方のお話を、私の最後のコラムとして、前後編にまたがってお届けさせていただきます。
まずは、私がヨガインストラクターになった1年目、今から15年以上前のお話です。
初めて担当したホットヨガのクラスに、20代前半のおとなしい雰囲気の女性が参加されました。
何度か通われたころのレッスン後に声をかけてみたら、言葉少なく、実は今無職で治療中だと言い、ウエアの袖をめくって腕を見せてくれました。
すぐに精神的な治療、療養中だと分かりました。
前回のコラムでもお話しましたが、私もうつ病を経験していたので、「痛いよね、お風呂しみるよね、がんばったね」と笑顔で伝えたら、少しほっとしたような表情になってくれました。
それからは、レッスンが終わると必ず声をかけてくれて、少しずつ話せるようになりました。家から出ることがずっと困難だった彼女にとって、自分と向き合うヨガは前に進むための大切な場所だったのです。
1年後、彼女から就職先が決まったと言われたときは、一緒に泣いて喜びました。
続いて、以前働いていたフィットネスクラブでのお話。
ヨガクラスにとあるご年配のご夫婦が参加されるようになりました。旦那様は80代で、少しずつゆっくりと動かれる方でした。
お話しを聞くと、心臓や脳に疾患があり、ずっと治療をしていたとのこと。奥様が付き添って一緒にレッスンを受けておられましたが、旦那様は、座っているだけで辛そうでした。四つん這いになると身体を支える手足がガタガタと震え、立つポーズも不安定で、ずっと目が離せなかったのを覚えています。
フィットネスクラブは、若い方からご年配の方まで幅広く集まり、いわゆるベーシックなヨガを行います。もしかしたら、他の会員さんとペースが合わずに、思いがけない言葉をかけられていたかもしれません。
それでも、その旦那様は毎週欠かさず参加されていました。
次第に一番前の場所までいらっしゃるようになると、だんだんと笑顔が増えて、できるポーズも増えてきました。
「こんなワシが一番前で参加していたら、他のみんなに勇気を与えるやろ?」と笑っておられたのが印象に残っています。
いつも笑って「自分は年だから」「身体が不自由だから」とお話をされていて、それでもみんなと同じポーズに果敢にチャレンジし、そのためのトレーニングもされていて、尊敬する会員様でした。
私がそのフィットネスクラブを退社することになった際は、たくさんのお礼と、お手紙をいただきました。
その方に出会えたことに感謝ですし、いつまでもステキな奥様と一緒にヨガを楽しんでいただきたいと心から思いました。
「人の数だけヨガがある。」そうあってほしいと私は思っています。
そんな私も、伝統あるヨガの重圧に押しつぶされた時がありました。
すべてを辞めて実家の大阪に帰ろうと考えていた時、ヨガイベントのゲストとしてカナダから来ていたヨガ講師兼ロックミュージシャンのウィルに出会いました。
ピンクのモヒカン、真っ黒なサングラスに髭、黒革のベストとパンツに激しめのシルバーアクセサリー類がじゃらじゃら・・・。
その姿に、私のヨガ講師という理想像がガラガラと崩れ去りました。
レッスンの間中、彼はずっと熱く歌い上げ、参加者みんなでダンスをして、笑って、汗だくになっていました。その時間がただただ楽しくて、感動して、涙が止まりませんでした。
彼はトランスジェンダーで、幼いころから虐めを受けて育ち、音楽とヨガに力をもらい救われてきた人です。
そんな彼のヨガは、伝統的なヨガとは見た目が違うのかもしれませんが、たくさんの人の心を動かし、変化させていたことは事実で、それは紛れもないヨガなのです。
私は、頭の中でヨガという理想の枠を作り、勝手にできないと判断して諦めようとしていました。彼に出会い、ヨガ本来の大きさ、深さ、自由さ、温かさを知りました。
ヨガに枠なんて、最初からないのです。
そもそも、世の中に枠なんて、元々ないのです。
「人の数だけヨガがある。」そうあってほしいと私は思っています。
>ナマステ
ヨガインストラクター
幼少期より身体が弱かったが、身体を動かすことが好きで、ダンス、器械体操をはじめる。
ダンス、芝居、アクションスタントなど身体を酷使する仕事で体調を崩すことも多く、心身ともにバランスを整えるためにヨガをはじめる。
<略歴>
ヨガインストラクター養成修了(2006年)
ヨガスタジオ「ヨガ&ビューティー リスルフル」立ち上げ(2008年)
「ヨガから始まり、たくさんの方と笑顔で繋がるコミュニティスタジオを目指しています。」